自己紹介

名 前村野洋見(hiromi murano) 

家族構成:4人(夫、長女、次女)

生まれ星:四緑木星

職 業気学鑑定士、占い師、不動産賃貸業

鑑定歴竹下流気学(横浜で2番目にあたる占い師)に弟子入り。

    7年後独立

            その後四柱推命・風水・家相を各師匠のもと学び、現在に至る。

    

 

趣 味

■ お悩み相談(自分が幸せになれたお返しをしたい)

■ 海外旅行 方位取りを兼ねての海外旅行。ただし、大好きなハワイへ好きな時に行けないのは、残念。

■ スキー、バイク、ダイビング。

特 技

■ ゴルフ(プロゴルファーのマネージャーをしていたこともあり、かつてのスコアはなかなか~笑)

■ 乗 馬(小さい頃から習っていましたが、最近は行けていません)

性 格

誰とでも仲良くなれる反面、多少おせっかい。

ハマると何でも一生懸命やりますが、負けず嫌い。

 独裁者の相、人気者の相、貧乏くじの相を併せ持っているので、「人生に波があり、人より努力しないと実りにくいけれども、運気が上がるとカリス性を持つ。また、人を引き付ける力が強く、非常に社交的だけれど、人のために尽くすが報われない場合が多い」

私の歩み

 振り返ってみると、かなり波乱万丈の人生だった。

 小さい頃はわりと裕福な家庭だったような気がするが、父は仕事のためにほとんど不在、母親も仕事が忙しくて家にいることが少ない、お金はあれども、家族団らんの幸せな記憶はほとんどない。派手な海外旅行に出かけたこともあるにはあったが、両親はたびたび喧嘩をしていた、そんな寂しい家庭だった気がする。

 小学2年生のある時、両親が離婚。私は母親側に引き取られることになるが、中学3年生の頃に母親が過労で倒れてしまう。急性くも膜下出血だった。離婚した父は見舞いには来ず、まだ15歳だった私ができる限りのことはしたものの、寝たきりになってしまった母。そんな母に対して、まだ中学生だった私はどうしたらよいのか…。路頭に迷うなか、母が築き上げてきた会社をめぐって親戚同士が争いを起こし、「アナタはまだ子どもでしょ?」と言わんばかりに、私はたったひとり、蚊帳の外となる。見て見ぬ振りをしながら必死で高校へ進学したけれども、人間の汚い部分を目の当たりにしながらのイヤな思いと、母の介護、その他はすべて勉強の日々だった。

 その後、なんとかようやく就職した私は、温かい家庭への憧れが根底にあったせいか、すぐに結婚。長女を出産する。そして、その結婚を機に、気持ちが大きくなったこともあって、母が残した古いホテルを継ぐことを決意した。

 

 それは、20歳の時に訪れた。

 6億円の借金をしてまで、ホテルを全面改装したのだ。経営の勉強すらしたことのない素人が、6億もの借金をどのようにして返していくのか。不安ながらも、必死で働くこと5年という月日はあっという間だった。忙殺されている合間に借金がなくなっていたのはよかったのだが、その代償は大きい。離婚になってしまったのだ。娘は私が引き取り、2人きりの生活になった。娘は大丈夫だろうか。寂しくないといいけれど……。私が子供の頃に味わった思いを娘にさせていると思うと、心が苦しい。その反面、仕事はしなくては生きていくことは不可能。働き詰めの毎日で、いつの間にか飲食店とゴルフ関連のショップを含む3店舗を切り盛りするようになっていた。

 そんなある日、限界に達していたのか、突然パニッック症候群で倒れてしまったのである。限界に達していた。仕事ばかりしているひずみは必ず起こるといってもよい。パニック症候群、さらに、引きずられるようにして引きこもりへと転落。鬱病と診断されて、自殺未遂を3回、“なんとか死にたい”。あの頃は死ぬことばかりを考えていた。もちろん、会社は倒産の危機。それだけでなく、契約していたメーカー会社が倒産し、再びまた莫大な借金が残った。追い打ちをかけるようにして数年後、卵巣が破裂して、一瞬あの世へ……。

 居心地の良い空間だったことを覚えている。もう苦しまなくていい、会社も仕事も、もう手放していいんだ。そう感じていたなか、聞こえてきた声。

「ママ! 会社の借金はどうするの? 私はどうなるの?」

 娘の泣き叫ぶ声がして、目が覚めた。

 まだ死にたくない。奮起した私だったが、この時点では、まだ本当の意味で運気は上がっていなかったのだった。

気学との出会い

 娘のことを思い、懸命に働いて借金をどうにかやりくりできるようにもなった頃、ホテル経営からも手を引くことにした。ある日、久しぶりに会った知り合いに驚く。私の会社と同様、アップアップだった会社が順調で、余裕の顔になっていたのである。聞くに、横浜の占い師に見てもらうようになったら、順調になったというのである。と同時期に、若くして稼ぎまくっている女社長からも、偶然にもその占い師を紹介された。そう、つまりこの占いというのが、竹下流気学である。だが、運気が低下しまくっていた私が、それを素直に受け入れるはずはない。(運気が低下すると、良くなろうとすることをはじいてしまうことがある) 

 へえ、気学をやって運気が上がったなんて、たまたまよね。そう思っている私には、依然として様々な問題が降りかかり、悪戦苦闘の日々。家族との衝突、コンサルタントに預けたお金は返ってこない、経営はうまくいかない。私だけがなぜこんなに運が悪いのだろうかというジレンマが背中を押して、気学の鑑定を受けることにした。 

方位取り開始

 鑑定は電話鑑定だった。

「仕事は合っているみたいだけど、行った方位が悪すぎるね。そうだねえ。じゃあ、近いうちにモルジブへ行ってきて」

「モルジブですか!? ムリですよ……。もう少し近い所でなんとかなりませんか? 上海? 上海ならなんととか。旦那はシドニー!?」 

 これが初めての鑑定内容だった(もちろん省略しています)。これで良くなるのならと、とりあえず1年はやってみようと心に決める。だが、上海から戻ると、アメリカへ行かなくてはいけない予定ができたため、再び鑑定。このアメリカ方位が、スペシャル大凶だと判明し、先生に泣きついた。

「運気が落ちていると、なぜか悪い方位に用事ができたり、悪い方位へ行きたくなってしまうんです。それを、通称、『呼ばれる』というんですけどね。しかも、上海よりもアメリカの方が距離は遠いですよね? 行ってしまえば、距離が相殺できずにマイナスが残る。アメリカへ行くならば、その大凶を消すためにも、ヨーロッパに行ってください」

 私はもうそこに従うしか、生きる道は見いだせなかった。

 

方位取りの結果

 半年間は全く体感がなった。効いているのか、効いていないのかまったくわからない。しかし半年後ほど経つと、“揉め事がなんとなくないな”、“イライラしないな”、そんな実感とともに、よい事が次々と起こり始める。周りからは、顔つきが変わったと言われ、仕事もどんどん上向きだった。

 そうなると楽しくなるものである。毎月、自然と国内の方位取りをこなし始めている私がいた。

 

弟子入り

 気学を知れば知るほど、これはキチンとした学問なんだと再確認。事務所では、方位取りで良くなった人と出会い、もっと気学のことを知りたいと思った。

 私は、竹下流気学の占い教室に参加した。占い教室卒業後、弟子入りを直談判。竹下先生は、当時は弟子を取っていない時期だったが、泣いて懇願し、たった1人の5期生として入門を許可。その後は、宇都宮から横浜へと毎週通い、想像以上にしごかれる日々が待っていた。

 

現 在

 毎月の方位取りは欠かさず、今は不動産賃貸業(大家)を兼任しながら、占い師として日々精進しております。おかげさまで、不動産賃貸業も右肩上がりです。

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